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『できない理由よりできる方法を』軟式野球日本代表 キャプテンに学ぶ「あきらめないマインド」の作り方

JBグループでは誰もが自分らしく生き生きと働ける環境を整え、多様な人財に活躍の場を提供しています。
JBCCの中部地区の営業で、仕事と軟式野球 日本代表に全力で取り組む金子さんもその一人。新天地であるIT企業のJBCCに昨年入社し、38歳の現在も軟式野球の日本代表で活躍し続けるパワーの秘訣を伺いました。


野球中心の学生時代、その時々の周囲の支えが力に

生まれはサッカー王国の静岡県ですが、野球好きの家族の影響で、軟式野球チームに小学校1年生で入団したのが今につながるきっかけです。負けん気が強く、体は小さかったのですが、大きい人には負けないぞ!という想いで練習に励んでいました。思い出深いのは雨の日の練習です。当然グラウンドは使えませんが、とにかくキャッチボールをやりたいと監督に頼み、雨よけになる大きな木と木の下に立ち、無理やり練習しました。当時から困難を乗り越えるための方法を常に考えて行動していましたね。

将来、野球選手になりたいと卒業文集に書いていたのは小学生まででした。中学生になってからは、周囲から体が小さいと言われたこともあり、自分に限界を作ってしまったのです。ただ、「気持ちだけは負けるな!」という父の教えもあり、負けん気は変わらず。自分を奮い立たせるという意味では、今では周囲に負けないというより、自分に負けない、という形に変わってきた気がします。

高校は甲子園に行くために学校を選びました。なのでメンバー集めも積極的に取り組みました。中学時代の選抜チームで対戦した良い選手の誰がどのチームに行くのかを調べて、共に甲子園を目指したい選手がいれば、顔見知りでなくても、電話番号を調べて連絡をとり「君が来れば甲子園にいけるはずだ」と勧誘しました。皆で情報共有をしながら高校メンバーがそろったわけです。全く知らない人に電話するのは、昔から気になりませんでした。必要なことであれば進んで実行しました。

高校時代の思い出の品々

仲間とともに甲子園を目指し、3年生の春の選抜に出ることができました。けれど3年間同じモチベーションでやって来れたわけではありません。というのも甲子園に出場したものの、私は当日の試合に出れなかったのです。予選やその他の公式戦は全て出場していたのに、甲子園の試合の日だけ出れなかった。直前の試合でミスをしてしまい、自分の未熟な面がそこで出た。結果、背番号を付けてベンチにいました。当時はすごくショックでした。単純に自分の実力不足で出れなかったのに、高校生の私は自分の非をなかなか認められなくて、悔しい思いをしていました。

苦しくても野球を続けられたのは、周囲の人に助けられたから。小学校、中学校、高校と、事あるごとに良い人と出会うことができました。高校野球も本気でやめたいと思ったこともある中で、恩師であるコーチやスカウトしてくださった先生が時間をかけて話してくださったり、当然仲間や家族の支えもあったおかげで、野球をやめずに高校最後まで続けました。

高校時代の悔しい思いを乗り越えて、大学でも野球を続けました。実は出場がかなわなかった甲子園の選抜の後、夏の県予選で活躍できたのです。あと1勝で甲子園、春のようには失敗しないぞと思っていたのですが、結果的に至りませんでした。大会が終わった時点で、野球をやめようかなと思ったのですが、どこか自分の中で本当にやりきれているのか、高校時代にあきらめた瞬間がなかったか、と思い返したときに、今やめるべきではない、大学でもチャレンジしようと思い、続けることにしました。

大学も野球がメインで入りました。私の良いところは器用なところ。大きい選手がやりたがらないこと、苦手なことを、体が小さく足が速くて器用なところを活かして取り組みました。特にバントや盗塁。公式戦の初打席が代打でバントでした。大学時代は自分を律して本当によく練習しました。4年生の時に手ごたえがあったので、社会人野球をやりたいという想いで取り組んだのですが、当時、腰のヘルニアを患い、提示された条件が合わなかったこともあって、結局大学までで野球をやめることにしました。

SWBC JAPAN(軟式野球の日本代表)に挑戦した経緯

野球部がない企業に就職したつもりでしたが、なんと軟式野球部がありました。大学まで野球をやっていたことは社内に広まっており、入社したら選手登録されていて試合に出ることに。グラウンドに立つとやはり負けられないんですよね。力のある先輩選手もいて、頑張れば勝てるというのもあり、トレーニングを再開しました。ただ時代の流れで活動メンバーが減り、34歳の時に休部に至りました。

野球ができなくなったものの、体も動くのでどうしようかなと思いつつ、一人トレーニングを続ける日々でした。仕事がどんなに遅くなっても、夜な夜な家の周りを走ったり、ジムや水泳に通ったり。
そんなある日、偶然SWBC JAPAN東海が発足するので選手募集中という案内を見つけました。家族の後押しもあり、34歳の時にトライアウトを受けました。最初は結構怖くて、一生懸命やってきた自負はあるものの、落ちたら恥ずかしいという思いもありました。けれど、過去を思い返してみると、小学校の時に体が小さいからプロ野球選手をあきらめた、高校の時も一度野球をやめようと思った、大学の時もヘルニアと採用条件を理由に社会人野球をあきらめた。自分にできない理由付けをして逃げてきた側面があったので、そんなことは良くないなと思い、恥をかいてもいいから行こうとチャレンジしたんです。

合格した時は、まずホッとしました。また野球ができるなと嬉しかったですね。住まいは静岡でしたが、名古屋のチームに所属して、平日は仕事を終えてから練習、週末は名古屋で試合という生活を3年ほどしていました。発足して1~2年目と4年目に東海代表のキャプテンを務めました。

日本代表への参加は2019年からです。選出にあたり東海代表のAチームにいることが条件でした。Aチームの中で選手としての成績、取り組みに対する姿勢を評価されて、東北、関東、東海、関西の各地域から日本代表が選出される仕組みです。
2022年に日本代表の副キャプテン、そして2023年の今年はキャプテンに就任しました。若い選手が多い中で、私は東海地区では最年長です。若い子たちと野球ができるのは幸せですよね。軟式野球は裾野が広いので、色々な人と一緒にプレーできるのが嬉しいです。

2023年軟式野球 日本代表キャプテン就任

ちなみに任天堂Switchのゲームソフト「プロ野球ファミスタ2020」でも軟式野球の日本代表選手で登場しました。続けているといいことあるなと思った出来事でした。

年を重ねても練習量は若者に引けをとりません。体力の衰えは感じますが、だからこそやれることはやろうと。年齢と共に体が動かなくなり、できたはずの事ができなくなると、いままで無意識にやっていた事を意識するようになる。根本的な自分自身の理解が深まるというか、続けているからこそ逆にできる事がある。そこは信じています。仕事もですね。

日々挑戦のパートナーの野球道具


37歳で新天地に挑戦!IT企業のJBCCに入社

IT企業でお客様のDXを支援、営業としての顔も持つ金子さん

昨年37歳でIT企業へ転職しました。以前の会社で、誰もが社内システムを使えるように、動画を活用した業務効率化に取り組んだ経験から、DXに携わりたいと思ったのがきっかけです。新分野なので学びの日々ですが、できるようになるのが結構楽しい。我が家の子供を見ると日々すごく楽しそうなんです。なんで楽しそうなんだろうと自分なりに考えた結果、彼らは日々新しいことを吸収している。バッタを見るだけで楽しそうな様子を見て、新しい情報を得ているから楽しいんだと気づきました。日々を楽しくするには、自分ができないことをできるようになっていく。だからこそ新しいことに挑戦したわけですが、野球と同様、日々チャレンジです。

転職してからも練習は全力です。入社後の研修期間はホテル住まいでしたが、バットを持ち込み、夜な夜な街中の空きスペースでスイングしてました。事前に交番に立ち寄り「僕は野球選手なので、練習するけど怪しい人ではないから承知しておいてください。」と伝えておきました。人に迷惑をかけてはいけないのでリスクマネージメントはしっかりとしてました。

経験からの学び、結果より自己ベストをめざす過程が大事

今年4月にヘルニアの緊急手術を受けました。続けて来れたのは周りの人達のおかげ。だからこそ2023年の代表改選でもう一度日本代表になることで、怪我で落ち込む人を励ましたいという強い気持ちで今年11月の選考試合に臨みました。結果として日本代表ならびにキャプテンに選出されて、嬉しさとともに身の引き締まる思いです。

これまでの経験から、年齢は関係ないなと思います。そういう人が増えて欲しいなと思うし、できない理由でなく、できる方法。たいそうな結果は出さなくても、自己ベストを常に出そうとするのが大事だと思っています。

自己ベストを目指して、楽しみながら全力プレー!

話が戻りますが、甲子園は偶像崇拝に近くて神格化されているけれど、甲子園自体はただの土がある球場です。そこ自体に価値はなくて、そこに向かってどうしたら行けるのか、計画し、計画通りに動く。大変なのですが、つらいことを乗り越えながらやっていく、その過程に意味があるのだと思います。高校生がそれを理解するのは難しいかもしれない。だから分かりやすく目標は甲子園と置き換えているのだと思っています。

実際は野球だけではないと思っていて、野球を通じて社会生活の役に立てるような人になりたいと思っています。みなさんそれぞれ取り組んでいる分野があると思うので、自分の持ち場で特色を生かしてせいいっぱいやっていただいて、みんなで社会を良くしていければいいなと思っています。その一人として取り組んでいきたいです。